女心


かつて、お互いに楽しい時間を共有できるY子がいた。


頭が良く、他人の心を慮る女性であった。


あるとき、

中堅工務店に勤める彼女は上司のN男から幾度も、

交際、いやプロポーズを申し込まれていた。

それから、逃れたい気持ちも手伝ったのだろうか、

ある時私に一緒に暮らしたいと打ち明けてきた。

若年でもあり種々の理由から「今は結婚できない」と諭した。


以来Y子は友人を誘い、

夜の街に出ては酔って帰宅する日が多くなった。


そんな時またしてもN男からの執拗なプロポーズ

Y子はそれを受け入れた。


美貌のY子を得たN男は天にも昇る気持ちだったろう。


Y子の母親から「N男との結婚はY子の本心ではない、

何とかして欲しい」と懇願されたが、

その時の私にはどうすることもできなかった。


因みにN男は地元資産家の御曹司である、

傍目には“玉の輿”と映ったろう。



 何年か後、クラス会で再会、


隣に座ったY子に、

今は幸せ?」と聞くと、

双眸の奥に、幾ばくかの怨みを含ませがら、


「女ってね、嫌いでさえなければ、

その相手と一緒に暮らすことができるものなの、


勿論、その代償に経済力は不可欠だけど。

そのために、いろいろな努力もできるし、

子供ができれば、子供に愛情を注げる、それに女とって、

“あなたが最愛の人”と思わせることは、

そう難しいことではないの、


相手が一生それに気がつかなければ、それは“嘘”ではなく、

“真実”でしょ、


その頃知り合った、夜の仕事をしている女の人からあることを教えられたの、

“過去の真実っていうのは相手を傷付けることもあるからね、

だから、その人のために自分のストーリーを作って

自分に言い聞かせておくこと”




饒舌になったY子に私は少し戸惑った、

おかれた境遇と時間は、

嫋やかな女性をしたたかな女に変えるものなのだろうか。





女性を包容、或いは支配していると信じて疑わないのが男であるが、


実は,お釈迦様の手のひらの上で遊ばされている“孫悟空”が男なのかも知れない。





N男は“バラ色の人生”を送っている筈である。