戦慄の《口相》



久し振りにTさんから携帯にメールが入った。

近況報告とともに添付されていた写真を見て、戦慄が走った。


おそらくTさんの部屋で撮ったであろう、

その写真に写っている人物の“口相”は

目には見えないが、確かに“何かの力”を放っていた。





ただし“善の力”ではない。

その全く逆の、それも凄まじい力である。

強いて言えば“負のオーラ”とでもいおうか。



画面を消した後も、悪寒が数分続いた。


自分は霊能力などとは無縁である(寧ろ眉にツバを付けるほうである)


しかし、ある事象の結末が脳裏をよぎる瞬間がある。


上手く表現できないが、

強いて言えば“直感”のようなもの。


今までの人生で、それは数えるほどしかない。

“良い結果”もあるが“そうでない場合”が多い。


それ故、初めの頃は「気のまわし過ぎ」

あるいは「良い結果を強く意識しているため、

潜在的なその逆の思いのなせる技」

と言い聞かせ、その都度「まさか」と疑ってかかる。



望まない結果を従容として受け容れることなど出来ないのが普通だろう。


しかし、それは、いままで外れたことは皆無である。


 以前、公私共にお世話になっている

取引先のH社に銀行マンが転職してきた時のことである。


若くして支店長まで勤めたその人物は、

人当たりが良く、腰は低く、頭も切れ、嘱望された。


やがて子会社を任され、社長に就任した。


祝賀会のステージに立つ彼を見ていた時、

その柔和な表情の中に、時間にすれば数十分の、

いや数百分の一秒の彼の口の表情“口相”が私を震撼させた。


その時脳裏をよぎったのは、「非道」そして

「この男、会社に仇なす」という言葉。


迷った挙句、限られた人間にだけ、これを伝えた。

予想したとおり、一笑に付され、寧ろ私に批判の矛先を向けた。


数年後、その子会社は倒産した。

当然H社も連鎖倒産となった。


ほどなく、この“会社に仇なした”男は自分の会社を立ち上げた。

その資金をどのようにして調達したかは、

想像に難くない。





いま、Tさんが、写真に写っているこの人物と、

関わっている限り、

100%間違い無く、必ずTさんを不幸にする、

という“確信”

仮に社会的な地位があろうと、

経済的に裕福であろうとそれとは別の問題である。


Tさんにとってこの人物は危険すぎるのだ。



同時に、人望篤く、誰からも好かれるTさんが何故この人物と

同じ空間にいるのかが理解できない。



それは直接Tさんに直接物理的な危害が及ぶということではなく、

Tさんに対する、信頼や

真にTさんに必要な良き理解者が遠ざかってゆくことを意味する。




仮にあなたが、一見“その筋の人”とわかる風体の人物と

町を闊歩していたとしよう、

それを見た友人はそれまで持っていたあなたに対する

信頼や親愛の情が音をたてて崩れていくのを感じるだろう。

当然、あなたに接する態度も、評価も変わるに違いない。



もう一度、写真を開く、

やはり、言いようのない悪寒を覚える。


削除。




霊能力とは無縁と言ったが、

人間には他人を幸せにする力を持つ人と、

不幸にする力?を持つ人は厳としているのではないだろうか。


 数年前、或る女性と時間を共にするようになって暫くすると、

それまで取引などない銀行の営業マンが突然訪れ、

融資をさせてくれないかという。


建設業にとって、こちらからお願いしても断られるのが関の山、

というご時世である。


何故、見ず知らずのウチに融資を?

と聞いても答えは無い。


折しも、その数カ月前、取引先の社長が急逝し、不良債権が生じ、

苦境にあった時である、

渡りに船、といきたいところだが、

これ以上の借金も重荷になる。


「相手を間違えているのでは」と取り合わなかったが、

日参する姿に負け、

「そのかわり満期まで手をつけないからね」と口座を設けた。


ほどなく、3.11東北大震災である。


全国的な資材不足が生じた。

元請けの工務店へも材料が入荷せず、顧客への引き渡しが延びる、

当然我々への入金が遅れる。

だが、それを理由に支払いを延ばすわけにはいかない。

この時、この融資のおかげで信用を落とさずに済んだ。


若し、神が存在するとしたら

この営業マンに姿を変えて来たのではないだろうかと思えた。

そして、神を案内してきたのは彼女ではないか。



件の写真の人物は、これとは全く逆に、

関わる人を確実に望まぬ方向に導く。


冷静に考えてみると、これはオーラや直感などという

非論理的な思考の産物ではないのではないか。



ひとは歳を重ねることにより、

それまで見えなかったものが見えるようになり、

聞えなかったものが聞えるようになり、

解らなかったものが解るようになるという。


それに、ほんの少しの“何か”が加わると、

これから先のことが見えてくるのかも知れない。



これをTさんに伝えるべきか否か。