【佃煮】と【本能寺の変】

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築地から江戸名物【佃煮】が届きました!
これに合うのは日本最北端の造り酒屋の辛口【国稀】
BGMは落語【佃島】 今日は志ん朝でいきましょう!
ところで、この【佃煮】 あの《本能寺の変》がなかったら江戸の名物にはなっていなかったそうな!
天正10年(1582年)織田信長が本能寺で討たれたとの報をうけた盟友徳川家康はこの時僅かな家臣とともに堺に滞在していました。身の危険を感じ、急ぎ大阪から三河へと逃げ帰る途中、摂津の国、佃村の川に差し掛かったとき船が無く途方にくれます、そこで庄屋の森孫右衛門と地元漁師が漁船と、道中の空腹をしのぐために塩浸けした保存食の小魚を差し出します。
無事岡崎城へと帰りついた家康は、やがて江戸幕府開府の折、命の恩人である佃村の漁師を呼び寄せ、隅田川河口に住まわせ、漁業権ほかの特権を与え厚遇します。
彼らは故郷を偲びこの地を佃島と名付け、将軍家へ献上した残りの雑魚を甘辛く煮つけ、賄として食していましたが、これが評判となって市中に広まり、さらに参勤交代のお土産として全国に知られるようになりました。
もし《本能寺の変》がなかったら、私達はこの江戸名物を食べることができなかったかも。