落語家になった、サムライ!




 今でこそ、落語家になる前には、

国鉄職員、自衛隊、相撲取り、サラリーマン等々、

いろいろな職業、経歴の持ち主がいますが、

幕末のころ、武士から落語家になった人がいました。


武士が落語家になることが、そもそも変わっていますが、

落語家になったあとも、相当変わったエピソードの持ち主でした。


天保十年(1839)御家人の家に生まれた

その人の名は小島弥三兵衛長重。


武士でありながら、芸事に没頭、

病高じて、寄席に上がるようになりました。


ところが落語家に転身したものの、ほどなく、

世は“御一新”

かの上野戦争では彰義隊に加わっています。


この明治維新を機に司法省に入り、裁判官に。


ところが、あろうことか、函館に赴任中、ある裁判で

被告人の女性を、

“美人だから”という理由で

ナント、無罪にしてしまったのです。

(一説には、この被告の女性と、

関係を持っていたからだともいわれています)

当然、懲戒免職です。



その後、件の女性と帰京し、再び落語家に。


武士の出身だけに『素人汁粉』を得意とし、ほかにも

転宅』『厩火事』『権助提灯』『御見立て』など

現代でも人気の滑稽噺で人気を博し、

かなりの“売れっ子”だったそうです。


高座での名前は回文調の

 三遊亭遊三(初代)

大正三年(1914)没


俳優の十朱久雄は孫、十朱幸代は曾孫。



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