落語家になった、サムライ!
今でこそ、落語家になる前には、
いろいろな職業、経歴の持ち主がいますが、
幕末のころ、武士から落語家になった人がいました。
武士が落語家になることが、そもそも変わっていますが、
落語家になったあとも、相当変わったエピソードの持ち主でした。
その人の名は小島弥三兵衛長重。
武士でありながら、芸事に没頭、
病高じて、寄席に上がるようになりました。
ところが落語家に転身したものの、ほどなく、
世は“御一新”
この明治維新を機に司法省に入り、裁判官に。
ところが、あろうことか、函館に赴任中、ある裁判で
被告人の女性を、
“美人だから”という理由で
ナント、無罪にしてしまったのです。
(一説には、この被告の女性と、
関係を持っていたからだともいわれています)
当然、懲戒免職です。
その後、件の女性と帰京し、再び落語家に。
武士の出身だけに『素人汁粉』を得意とし、ほかにも
現代でも人気の滑稽噺で人気を博し、
かなりの“売れっ子”だったそうです。
高座での名前は回文調の
三遊亭遊三(初代)
大正三年(1914)没
俳優の十朱久雄は孫、十朱幸代は曾孫。