《 貧相 》


 入院中御世話になったたTさんに、御礼を兼ね一献差し上げようと

馴染みの料理屋にご招待する。

年は私よりもはるかに若いが、氏の会社は、市内優良企業の最右翼である。

事業好調の訳を問うと、取引相手の“人相”を観るという。


人の人相とは、手相、骨相を含め、

こう言う人相の人は、こう言う性格である、という捉え方ではなく、

過去の所業や現在の境遇が、その人の人相をつくるのだそうである。

それから将来を推し量るのが“人相学”と言うものらしい。

つまり人相(手相骨相をふくめて)は日々変わると言うのだ。


なるほど、良きにつけ悪しきにつけ人生で顕著な出来事に遭遇したとき、

その表情に変化が顕れることに気付くのは珍しいことではない。

それが、大きな場合、或いは一過性でない場合“その人の人相”として形造られるのだろうか。


そういえば、生まれたばかりの赤ん坊が人相が悪いなどと、聞いたことがない。



 人相に関しては門外漢の私だが、

齢を重ねると“貧相”だけはみえるようになってくる。

それは自己防衛のために、否応なしに身についたものかも知れない。


運の良い人と一諸にいると自分も良い運に恵まれる〉とは良く聞く言葉である。

逆に“ツイテいない人と交わると自分もそうなる”

貧相のひとは自分のみならず、関わりを持った人にも《不幸のおすそわけ》をしてしまう。


私は貧相を感じる時、具体的な“相”はわからない、

なんとなく、である。

ただ、数十年の過去人生をふりかえるとこれは結構高い確率であたっている。


然し社会生活の柵のなかでそれらのひとを疎縁にするわけにはいかない場合もある。

縁あって知り合った訳であるから、礼を失することのないよう勤めることは

言うまでも無いが、有る程度の距離をおいたお付き合いを心がけている。




貧相と思しき人は、経済的不遇に不満を覚えつつも、

それから抜け出す方策を模索せず、

あるいは知的欲求価値観の向上に貪欲でなく現況に甘んじることである、

勿論、心の貧しさも含まれる。


 Tさんにこのことを話すと興味深いことを聞かせてくれた。


Tさんによれば貧相には特徴的な共通点があるという。

東洋人、とりわけ日本人にあっては『田宅(でんたく)』の狭い顔は気をつけろ、という。   


『田宅』とは人相学でいうところの眉毛と目の間隔だそうである。

(Tさんは狭く、“暗いと”、と表現した)

ここが狭いと典型的な貧相となる。


特に女性にとってこの相を持った男は伴侶として凶相だと言う。

加えて、『スキあらば』という気持ちを常に心のどこかに持っており

油断をすると足元をすくわれるので、とりわけ商売上の深い付き合いは

避けたほうが無難。

Tさんもそのおかげで、何度か無用な損失を免れたと言う。


また眉毛の毛の流れの方向が一定でない、あるいは薄いと

さらに良くない要因が備わる、と付け加えた。


なるほどそう言われると、

過去に出会ったそれらの方々を思い起こすと、概ね一致する。


顔は履歴書”とは言い得て妙である。