椅子
オットマンの付いたリクライニングチェア。
座り心地と良い、肌触りと良い、肘掛の高さと良い、
まるで自分の為に誂えたようなそれは、
数十年前、市内の家具店を回り手に入れたものである。
オーディオルームのダウンライトの灯りをおとし、
ウィスキーのグラスを片手に、この椅子に身を委ね、好きな音楽を聴く。
心も体も癒される至福の時間を、この椅子は与え続けてくれた。
クッションは綻び、色褪せ、木の部分は傷付き、
見ただけでは粗大ゴミかも知れない。
だが、私を温かく包み込んでくれる、
その役割は変わっていない。
親しい友人が訪ねてきた時も、
この椅子に座ることだけは良しとしなかった。
(同居していたネコと、ゴリラのぬいぐるみは例外であったが)
それが今、地下の冷たいコンクリートの上に無造作に
置かれて、いや捨てられている。
深夜、家人が寝静まってから、地下に向かう。
あたかも傷ついた愛しい女を抱きかかえるようにして、
“その椅子があるべき場所”に運んだ。
怒りは湧いてこない、
しかし、涙をこらえることは出来なかった。
それは、自分を癒し続けてくれた“椅子”を
護ってやれなかった自分の不甲斐無さ故。