“便所”の名がついた名刀

 


正宗孫六兼定虎徹、いずれも名刀である。

この日本刀の名になんと“便所”=“雪隠”を冠したものがある。


時は江戸時代、1715年、所は肥前の国(佐賀県)に

初代から九代続く刀工がいた。

代々忠吉(ただよし)を名乗り、

つくる刀は“肥前忠吉”と呼ばれ名刀とされた。


 ある日、四代目忠吉が外出から帰ると、妻の姿がみえない。

探しまわってみると、こともあろうに屏風の陰で、妻は弟子の菊平と浮気の最中。

「おのれ!不義者」と、重ねて四つに切ろうとしたかは定かでないが、

抜刀し、二人に切りかかった、しかし刀は鴨居に食い込み、この隙に菊平は

雪隠に逃げ込む、しかし追いついた忠吉に一刀両断のもとに切られて、あえない最期。

とって返した忠吉は妻も切り捨てた。


 不義密通を働いた密夫をトイレで「成敗」。

これ以後、人々は四代目忠吉の作る刀を「雪隠忠吉」と呼んだ。


 それにしても“武士の魂”に雪隠の名をつけるとはネェ、

人の口とは、げに恐ろしいものです。


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