☆ おどろいた! ☆
大きなラブラドールは、
時に甘えるように、
時に護るように、その子供に寄り添う。
子供の無垢な心と、犬の優しい心。
思わず、はじめてコメントなるものを書いた。
“「君は障害なんか持っちゃいない、
それは大人が決めたこと、だからボクと一緒に遊ぼうよ」
この犬はそう言っているように見えます”
おどろいた!
“評価の高いコメント”として、トップページに表示された、
のみならず、多くの人の“声”が寄せられた。
殺伐と言われる世相のなかで、
こんなにも心優しい人達が沢山いることを知らされた。
このダウン症の子供とラブラドールの命と命の触れ合いは、
この子に奇跡を起こすかも知れない。
いや、きっと起こすに違いない。
はっきりと覚えていないが、イギリスの諺だったと思う。
子供が生まれたら犬を飼いなさい、
子供が赤ん坊の時は、守護者として、
幼少時には、遊び相手として、
少年期には良き理解者として、
そして子供が青年になった時は、
己の死を以って命の大切さを教えてくれるだろう。
数日後、もうひとつ驚いた!
『評価の高いコメント』の順位が一位から二位へと入れ替わった。
“評価する”の数は相変わらず一番多いのだが“評価しない”の数も多い。
調べてみると、“評価する”から“評価しない”を差し引いた数で順位が決まる。
“評価しない”声は
「これはヤラセではないか」
「この子供がダウン症だと犬に解るワケがない」
「この犬は子供が好きなだけ」等々。
ハラワタが煮えくりかえったコメントは、
「犬くらいだろうな、こんな人間を相手にするのは」
たしかに、ほかにも犬や猫が子供と戯れる動画は数多くある、
それらは微笑ましく、心安らぐものだ。
だが私のコメントは、無垢な心の触れ合いが、
このダウン症の子供の心を少しでも開くことができたら、
と言う私の“思い”を文字にしたものである。
文章の価値と言うものは、100%読み手の感性に委ねられている。
画像は事実を伝えてはいる、
だが真実まで伝えることはできるのだろうか?
真実を伝えることのできない自分の文章の拙さを思い知らされた。