振って、フラれた江戸の恋☆お江戸を変えた振袖大火!
「いやァ、彼女にフラレちゃったよ」
「彼をフッちゃったわ」
その昔、年若い未婚の女性が異性にむかって「好きよ」などと言えなかった時代、
その思いの丈を伝えるときに、“振袖”をつかったそうな。
袂を左右に振ると「好きです♡」
前後にふると「嫌い!」
これが「フッた、フラレた」の由来だそうです。
そして振袖といえば明暦3年1月18日から20日にかけての
振袖大火(明暦の大火、時の将軍4代家綱)
ウメノという少女が、出火元といわれる本妙寺への墓参の帰りにひとりの寺小姓に心を惹かれ、
その小姓の着ていたものと同じ柄の振袖を誂え(と言うことはこの頃は男子も振袖を着ていた)
日ごと夫婦遊びに耽っていた。
そして承応4年1月18日、小姓に思いを残したまま17歳でこがれ死んでしまう。
その振袖はキノという少女の手に渡るが、キノも翌明暦2年1月18日に17歳で世を去る。
振袖は、今度はイクという少女のもとに渡るが、奇しくも翌明暦3年1月18日に17歳で亡くなる。
三人の少女の親たちは件の振袖を本妙寺で供用してもらうことにした。
しかし、お焚きあげの最中、火の着いた振袖が舞い上がり、本堂に飛び込み、
それが燃え広がって未曽有の大火となったといわれている。
ほかにも出火の原因は諸説あるが、この大火はその後の江戸にさまざまな影響をあたえた。
延焼を食い止めるための、今にその名を残す広小路の構築、
多くの人が避難する時に家財道具を運ぶのに車輪の付いた長持ちを使ったため、
交通渋滞が発生し死者の増大につながったとして、以後これの製造販売が禁止された。
これまで垂髪だった大奥の女達がこれ以後、日本髪を結うようになった。
焼死した遺体の埋葬された場所に建てられた回向院がその供用のために、
お盆の迎え火を隅田川で焚いたのが川開きと結びついて、
やがて花火になったといわれている。
火事と喧嘩は江戸の華!
でも、どちらもあまりあって欲しくないですよね。